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塗装会社の事務員として働く吉田沙織、24歳。
ある事情で借金を抱え、夜はコンビにでもバイトをしているが、いっそ風俗で働こうかと思い悩んでいる。
ある雨の日、彼女のもとに若くて美しい男が訪ねて来る。
名前は岸本春彦。
彼は、沙織が幼い頃に沙織と母親を捨てて出て行った父の恋人だった。
沙織の父・吉田照男は妻子のもとを離れた後、ゲイバー「卑弥呼」の二代目を継いだが、今は神奈川県大浦海岸近くにゲイのための老人ホームを創設、その館長を務めているらしい。
春彦は、その父が癌で余命幾ばくもないと言い、ホームを手伝わないかと誘う。
父を嫌い、その存在さえも否定して生きてきた沙織だが、破格の日給と遺産をちらつかされて、老人ホームの手伝いに行くことを決意する。
はじめに、この企画が立ち上がった時期と経緯からおしえてください。

『ジョゼと虎と魚たち』(以下『ジョゼ虎』)が動き出すより以前のことなんですが、大島弓子さんの「つるばらつるばら」を映画化したくて(渡辺)あやちゃんにシナリオを頼んだんですよ。でも、ストーリーが未来まで行ってしまうので、美術にお金がかかりすぎるということで第2稿で止まってしまった。そのときに(プロデューサーの)久保田さんが、マニラにある同性愛者のための老人ホームについての新聞記事を映画にならないかって持ってきてくれたんです。それが2000年の末くらい。「つるばらつるばら」でゲイの話にずっと向き合っていたので、とても興味深かった。大島さんの別のマンガで、宝くじが当たった女の子がマンションを買ったら、周りが老人ばっかりだったという話(「ノン・レガート」)もあって、それのゲイ版みたいなものが作れないかと考えました。そのとき、あやちゃんはあやちゃんで、父親の看病をする女の人の話を別に考えていたんです。で、それらが一緒になった。ずっとシナリオを直していて、『ジョゼ虎』を先に撮ることになったので、それが終わってからまたシナリオを直して、という感じでしたね。
もともと、「つるばらつるばら」を映画化しようと思ったのはなぜですか?

大島弓子のファンだったというのと、やっぱりゲイの人たちに興味があったんですね。僕自身、“気持ちが入る”種類の人たちっていうのがいるんですが、それがゲイの人たちと『二人が喋ってる。』や『大阪物語』で描いた芸人なんです。ゲイの人たちや芸人って、僕には“解放された人たち”に見える。それまで自分が暮らしてきた一般社会、生活といったものに踏ん切りをつけて、違うところに踏み込まないといけない。そこはしんどいけど自由な場所で、ゲイの人たちもそういう場所にいると思えてしまう。まあ、勝手な想像ですが。「つるばらつるばら」の準備のためにゲイについての資料をたくさん読んでいて、それはそのまま自然に『メゾン・ド・ヒミコ』(以下『ヒミコ』)につながってます。
ゲイの人たちのコミュニティを舞台にすることは、渡辺さんよりも監督のほうが積極的だったということですか?

そうですね、あやちゃんが書こうとしていたのは家族の話だったから。舞台がゲイの老人ホームになって、彼女が最初に考えていたものとは全然別のものになったと思います。僕はゲイの人たちの資料をずっと読んできて、彼らの抑圧の歴史のようなものを入れたかった。でもあやちゃんは、むしろ父と娘の関係のほうに重きを置いていたと思います。ゲイの人たちの話と家族の話がうまく噛み合っているどうかは、実は撮っている最中も謎で(笑)。でもどういうものになるかわかりきった上で撮るよりも、僕自身もずっとおもしろかったですね。
春彦と沙織が関係を持とうとする展開は、どのように生まれたんですか?

あやちゃんと話していて、これが一体何の映画かわからなくなったときに、僕はある種の壁のようなものを乗り越えようとする人たちの話だと思ったんですね。そのためにその展開が必要でした。実際のゲイの方達にはあり得ないとずいぶん言われました。でも,僕とあやちゃんの中ではあり得たんです。この話ってやり方によってはニール・サイモンのようなウェルメイドでスタンダードで、情感のあるコメディにもなり得たと思うんですよ。でも、結局そうはならなかったですね(笑)。
クランクインは2004年9月25日ですね。決定稿のポイントになったのは?

クランクインぎりぎりになって、沙織の母親をもうちょっと立てたほうがいいと判断しました。死んでしまった人が行なっていたことが映画を支配するような感触も欲しいと思って。それで母親とヒミコは別れたあとも音信不通ではなく、会っていたという設定にしたんです。老人ホームを建てたヒミコも、関係を持とうとした春彦と沙織も、別れたヒミコと会っていた母親も、“何かを試そうとした人”ですよね。結果はどうあれ、それぞれの立場で何かを試そうとしたことが大切なんだ、そういう話なんだと納得して撮影をはじめました。
キャスティングの理由について、まずはオダギリジョーさんと柴咲コウさんからお願いします。

オダギリ君以外にこの役って浮かばないでしょう?作品としては『アカルイミライ』は大きかったかな。男から見て色っぽいというのは絶対条件。本人に会うとそうでもなくて、めずらしいくらい普通の感じですけどね(笑)。柴咲さんは以前テレビ番組に出てもらったとき、一緒に何か取り組めたら楽しそうだなあと思って。間違いなくいまいちばん光ってる女優さんですからね。そういう人に沙織みたいな地味な役をやらせたらおもしろいと思いました。オダギリくんにしても柴咲さんにしても、ああいうスター性のある人が好きなんですよ。どうしたって捨てきれない輝きのようなものが、映画を嘘っぽく見せることもあるかもしれない。でもこの映画は地味なリアリティに没するとつまんない。そういうスター性が絶対に必要だなと思っていました。
西島秀俊さんについては?

『エイリアン』のなかに、「あいつらは食べることと生きることしか考えてない。生き物として完璧だ」っていうようなセリフがあって。僕のなかでは専務はそういうキャラクターだったんですよ。そういう役を演れそうな人は、西島くんしかいないと思った。彼には自分が出るシーン以外は読まなくていいからって言いました。まぁ読んでるとは思いますけど(笑)。とにかく専務は、たとえば『ヒミコ』みたいな映画がテレビで流れてたら、すぐチャンネルを変える。そういうキャラクターです(笑)。
田中泯さんのキャスティングはどの段階で決まったんですか?

いちばん最後ですね。肝心のヒミコがいないぞ、どうする!っていうときに、たまたま日本アカデミー賞の授賞式ですごいかっこいいおじさんを見かけて、その人が泯さんだったんですよ。これは運命だ、絶対に断られることはないと勝手に思ってお願いをして。でもずっと返事をいただけなくて、監督に会ってから決めるというので山梨まで行ったんです。そこで2時間くらい団塊の世代の批判とかの話をして、泯さんに気に入ってもらいました(笑)。それと泯さんはゲイの役をやってみたいと。ダンスや振り付けの世界にはたくさんいるから、まったく抵抗はなかったと思いますよ。泯さんは僕にとって理想的な俳優でしたね。カメラの前でどんな風にいるか、ということをいちばん大事にしている。小賢しい演技をされるよりも、そこに黙っているだけでいい、という人を撮るほうがずっとおもしろいし、エキサイティングです。
(C)2005 『メゾン・ド・ヒミコ』製作委員会
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